寅吉が大切にしてきた
日常の魚と、人の心。

明治15年、東京が近代化を急速に推し進めている中、博多はまだまだ江戸時代の空気が残る商人の街でした。そんな時代が移り変わる潮目の頃、荻原寅吉は博多で行商を始めます。

▲大正中期の寅吉。

博多湾や玄界灘で獲れた新鮮な魚をその日のうちに届ける。自慢だった健脚を生かして、博多周辺を売り歩いたと聞きます。
やがて、行商から小さな店を持つようになり、現在の「おぎはら鮮魚店」を開店。現在は6代目です。

▲江戸時代の魚売り

寅吉は「心は心に届く」という考えを商売の柱とし、鰯や鯵や鯖など、日常の魚を特に大切に扱い、心を込めて売っていたと聞き伝えられています。

今では鰯も鯵も鯖も希少になってしまいましたが、「心は心に届く」という教えは、変わらずに受け継がれています。

▲寅吉が書いた巻物や、お守りに持っていたお金。


博多はお刺身だけじゃない。
鯖寿司が美味しい“歴史的”な理由。

博多と言えば「玄界灘の美味しい魚」と、全国で有名です。特にお刺身は、魚自体が素晴らしい上に、海との近さもあって、お刺身が美味しいと評判です。その上で、実は博多はその最高の魚を使った「加工品」も凄いのです。

みりん干しや鯖寿司などがそれですが、これらが発達したのには理由があります。

▲鯖寿司の上には北海道の昆布。ここに歴史的な秘密が。

鯖寿司には、贅沢に北海道の松前昆布が乗っています。

これは、江戸時代から明治時代にかけて日本の流通を支えた「北前船」と関係します。北前船は、比較的穏やかな日本海側を北海道から南下しながら下関を通り、大阪へ荷物を運びました。
そこで拠点となったのが、九州北部です。商品を保管する倉庫などが多数建っていたと言います。

そういった経緯もあり、九州北部の素晴らしい鯖と、北海道の昆布が出会い、鯖寿司が生まれたのです。みりん干しも同じような理由で発達しました。

玄界灘の魚が美味しい理由